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齊藤 純子

男児4人の母、バースハーモニー美しが丘助産院院長

資格

助産師 / 保健師 / 看護師 / 受胎調節実地指導員 / 頭蓋仙骨療法師 / ライフエネルギーコーチ

出身地

愛媛県大洲市

経歴・職歴

愛媛県立公衆衛生専門学校(現、愛媛県立医療技術大学)
保健婦助産婦科卒業
日本医科大学附属第一、第二病院勤務
横浜市青葉保健所、その他産婦人科クリニック、助産院勤務を経て
平成11年開業

好きなもの

お産、畑、高波動マニア

得意なことだけを選択したら、行き当たりバッチリでした。

助産師になったきっかけはなんですか?

そもそも助産師になったきっかけは、高校生の時の進路で、たまたま得意科目に特化して受験したら、それが看護学校だったんですよね。
私ね、受験勉強とかの勉強が本当に苦手なタイプなんですよ。だけど、得意なことだったら、自然に頭に入ってくるし、別に勉強してる気持ちがなくても理解が進むから楽しいじゃないですか。

その中でも生物が特に好きで、生物の時間はめちゃめちゃワクワクしてました。植物も動物も全部好きでした。特にカエルの解剖とかも好きで、怖くないんですよね。それは多分ね、私山育ちだったから、父が山で色んな獲物を捕って、家で捌いているのを見て育ったからだと思います。
その姿を隣で見てきたので、内臓とかもすごく興味があったし、血が出ているのを見ることが身近でしたね。魚、鳥、ウサギとかマムシとかも捌いたりしてね。

えぇ、マムシも?!すごいですね!純子先生も捌けたりしますか?

やめて。無理です(笑)実際見るとすごく怖いんだけど、食べるとめちゃくちゃ美味しいんですよ。自然の山のそばで生活をしていて、そういうのを見てるから、別に怖くないんです。
自分が自然の中で育ってきた背景もあって、やっぱり「自然と共に自然の力で生きる」というのが自分の中にあって。だから薬とかも嫌だったんですよね。

とにかく、そうやって好きな科目だけをやってきて、看護学校に入って看護師になると決めました。
看護学校の3年生の時に看護の管理実習というものがあって、それが「患者を管理する」ことについての実習だったんです。もちろん全体の管理もありますが、中には患者さんが薬をちゃんと飲んでるかどうかをチェックする実習があったわけです。でも中には飲まない人もいるわけです。ゴミ箱に捨てたりしてね。そういう時は薬を飲んだかどうかを口を開けて調べたりもするんですよね。
そういうのをやっているうちに、強制的に薬を飲ませなければいけないことに対して、段々と空しさを感じました。
単純に薬を飲むか飲まないかではなく、薬を飲まなくていいようにするには、そして病気にならないようにするには、どうしたらいいのかなっていう方に、興味を持ち始めました。

薬をそもそも飲まない体にするって本当の意味で患者さんを助けることになりますよね。それに気づいたあとはどうされたんですか?

なるべく自然に体が健康になるには、どうしたらいいんだろうという方向に行った時に、看護学校に行ったことを無駄にしたくないからこのまま看護師をやるのか悩みました。
その先を見た時に、保健師と助産師っていう職業があって。赤ちゃんを取り上げる助産師という仕事と、地域で予防的なことを啓蒙する保健師という仕事に魅力を感じて、助産師も保健師も両方取れる学校に進学することにしました。

そこで実際やってみたら、保健師は病院の延長みたいなところがあって。その地域に行って健康診断に回るわけね。例えば血圧を測ったりしてね。その中で血圧の高い人を見つけたら、結局病院に行ってくださいとか。血圧が高くならないようにするにはどうしたらいい、じゃなくて。病院に繋ぐ役割が保健師の役割の大きな部分でした。
病気にならないために食べ物に気をつけましょうとかは言うけれど、具体的じゃないんだよね、全然。
健康な人に病気にならないためにこうしてください、という個別指導とかはない。健康な人は健康な人でいいじゃん、それで終わりだから。
だから病気になるかならないかはやっぱり検査で調べて、検査データや血圧数値に引っかかった人だけに受診をすすめるとか。

保健所には、母子保健は母子保健、成人病は成人病、というふうにいろんな特化分野が分かれているの。その中で保健師が仕事するって言ったら、地域に出ていくこともあるし、またはいろんな講座を企画して、地域の人たちを集めて啓蒙するとかいうのも一応あったんだけど、何か形骸的だった。

保健師は病院に繋ぐ役割だったのですね。助産師はどうだったんでしょうか?

助産師は、赤ちゃんが生まれるところに立ち会うという面で実質的だし、赤ちゃんを妊娠できる健康な人を相手にするので、一番しっくりきました。それで助産師になったわけです。
成り行きなんですよ、私の人生。得意なことを選択した結果、行き当たりバッチリになったんです。

絶体絶命のピンチの時こそ「次はどんないいことが待ってるんだろう」とワクワクします。

バースハーモニーを開業したきっかけを教えてください。

自分が子供を産んだ後に「また仕事をしたい。また仕事に戻る。」と考えた時に、何を仕事にするかとても悩んだんですよね。不思議ですよね。今は助産院の院長としてやっていますけど、その時は助産師は自分がやってきた中の並列の1つでしかなかったんですよね。例えば、ものを販売するとか、波動のことをやるとか、とにかく選択肢があったら色んなことをやっていました。
今まで人生を振り返って、どれを自分の仕事にするかを真面目に悩んでいた時に、一番に思ったのは、「自分が一番ワクワクしたことは何だろう」ということでした。
ワクワクして嬉しかったことは何だろうと思った時に、やっぱりお産の介助をする時がすごく嬉しかったし、それから産後に休めたこともすごく嬉しかったの。
自分が産んだからこそ、結局妊娠出産に関わることを一番のライフワークとしてもやっていきたい!とその時気付きました。

助産師は出産する前もずっとやっていたけれど、出産してから人生について考え直して、自分のことを深掘りしたんですね。

そういうことです。31年間、継続して助産師ではありませんでした。実は11年間のブランクがあったわけです。
妊娠と出産で、もうずっと仕事を辞めてました。その11年間は、もう医療には全く従事してなかったから、その間に自分自身の妊娠、出産、子育て、母乳育児、それからいろんなトラブルも経験しました。あとは生きるために必要なことや、子供を育てるために必要なこと、食事のことなど様々な知識を学んだり、運が良くなるためにはどうすればいいんだろうとか、スピリチュアルなことも学んで、ボランティアもやってたし、お料理もパンもそうだし、味噌作りもその頃からやってたし、パンも酵母から起こしてやってたし。
こだわっていろんなことをいろんなところに勉強しに行ってやってました。お裁縫や、子供の服も作ったりしてましたね。
もうとにかく、主婦業、趣味みたいなことを11年間やってたんだよね。
だから、妊娠・出産・子育てをする女性の気持ちは全部わかるというか。食事も自然な物をと、全部手作りして、ケーキもクッキーも素材を集めるところからやって自分で焼いたりとか。
11年間それらがベースであって、助産師に戻るっていうのは考えられないことでしたね。今更病院に戻っても、使い物にならないだろうと考えてしまいました。

でも助産師の自分がした体験を生かして、やっぱり仕事をしたいっていうのが一番の自分の理想でした。それで助産院を作るっていう夢をその時に持ったんです。だけどまだその時はマイナスからスタートするようなものでした。それでもすぐに行動に移したんです。

11年間のブランクがあって、助産師をまたやりたい!と思った結果、助産院を作るという夢を持ってすぐに行動したんですか!?凄まじいパワーですね!

なんか行動力はあるんですよ。やると決めたらやっちゃうんですよ。
本当に思ったのが現実になるのかなって半分思う自分もいて。もうこれをやろう!みたいに思うんだけど、でもやっぱりできないんじゃないかって思うの、繰り返しでね。
もううまくいかなくて、どん底に落ちて、もう辞めようって思うと、なんかね、パーン!ってね、めちゃめちゃ励まされることが起こるんですよ。不思議と。
何度もあるんですけど、その度にすごい嬉しいことが起こったりして忘れちゃうんですよ。嫌なこと。
人生を通してそういうことが、ずっとあって。

まさに山あり谷ありですね。純子先生でもどん底に落ちることがあるのですね。その度に嬉しいことが起きて、また這い上がるパワーが湧くと。その嬉しかったこと、教えていただけますか?

本当にいろいろあってね。本当にもう辞めようと思った時に一番嬉しかったのはね、突然お手紙が来てね。北海道からまるで知らない人から手紙が届いたりしました。「本を読んですごく感動して、自分はこの通りにお産したらすごく幸せになったんです」っていうメッセージの手紙が来たりとか。あの本、他の地域で役に立ってるぞみたいな。

お産を扱う助産院ってやっぱり幸せなことばっかりじゃなくて、つらいこともやっぱり多いと思うんですね。

助産院を辞めようとしていたこともあったんですか?

やはりシビアな世界です。でも1つ確実なのは、絶体絶命なことが起きたら、不思議なことにその後いいことも起きるんですよね。
バースハーモニーがここに来たのも、医療法が変わって、絶体絶命のピンチを経て、またいいことがあって。ピンチをきっかけに、また次に飛躍できたりするんですよ。

だから、ピンチがチャンスっていうふうにも言えるのかなっていうのが、ちょっとありますね。すごい落ち込んだ時に、今度はどんないいことが待ってるんだろうみたいな感じに今は思えます。

落ち込んだ時に、どんないいことが待っているんだろうって思えるのが素晴らしすぎます。。(感嘆)

正直なことを言うと今がそのピンチの瞬間で。最近めっちゃくちゃお産が減っているんです。今年は、もうお産の数が史上最低です。分娩予約する人すら少ないから、もういつまでこの助産院を続けられるんだろうと真面目に考えてたり、厳しい局面に立たされています。
だからね、どうしようかなと思ったけど、今度はもっといいことが起こるんだという感じで。
ピンチをチャンスに変えるっていうのは、自分の力じゃないところで色々なサポートがあるんだなと思うんですよね。
バースハーモニーを愛してくれる人たちがどんどん広まっているから、本当に物理的に何か助けられることが増えているので、面白いんですよ。

面白いですね。その秘訣とかってありますか?

断食を時々やったりするんですけど、断食すると、運気が上がるっていうのがあるんですよ。
例えば最初に断食した時、断食明けの日に、読売新聞から取材の依頼が入ったとか。メディアに出た時も、大概何かね、自分が取り組んでることがあるんです。

断食すると、自分自身の毒をデトックスするじゃないですか。そうするとエネルギーが繊細になって、更にステップアップするんですよね。
やはり全ては自分自身に戻るというそんな感じがして。体を整えるっていうことは、心を整えて運を上げるみたいな。
その結果、人に喜んでもらえる仕事ができて、また人に繋がっていけます。ピュアというか、本当の自分に戻れるというか。私、純子じゃないですか。ピュアチャイルドなんです(笑)
あんまりドロドロした組織とかも苦手で、そういう場所にはいられないんですよね。しかも、私って結構飽きっぽい性格なので、いろんなことが続けられないタイプなんです。だけど、この仕事が続けられているのはすごいことです。

自分の使命というか天命なのかな。興味が湧くし、そこからいろいろ繋がっていくんです。だから、お料理の先生も呼吸の先生にしても、本当に素晴らしい先生と出会ったし。マクロビオティックの磯貝先生とかね。ReMOVE!stretchとか。
本当に私、一流の先生と出会えてるとめちゃめちゃ思ってます。多分、私が自分の命や自分の気持ち、そして魂にピュアに向き合った結果の繋がりだからこそ、本質的に繋がっています。だから飽きないでやっていられると思うんです。繋がりが深いんですよ。

自分の命・魂・気持ちにピュアに向き合う。本当に大事ですね。そこから繋がった深い関係の方たちと接していると、どんなことが起きるんでしょうか?

本当に自分でいても安全というか、本当の自分でいられるってなかなかないですよね。世の中ではやっぱり皆んな、仕事では仕事の顔、職場では職場の顔で働くでしょう。それで、居酒屋では愚痴を言ったりしますよね。
でも飲みに行かないからね、愚痴を言うために。だってもう、嬉しいことがいっぱいあるんだもん。
奇跡的なことがいっぱい起こるから、幸せなんですよね。愚痴を言う暇がないというか。夫の愚痴ぐらいかな(笑)あ、ここはカットでお願いします(笑)

バースハーモニーという場所にきたら、裏表がなくなって本当の自分に戻ることができ、本当の自分が出せる何かの力がある場所だと思います。

そうですね。バースハーモニーはそういう場所で、どんどん本当の自分を開いていけるので、そういう人たちが集まる場所ですね。
本当の自分に戻れるって、本当に深いところで繋がれるんですよね。そういう人たちの集まりが、このバースハーモニーを支えてきたのではないかと思います。

世界中から色んな人々が集まる、そういう場所を作りたいです。

バースハーモニーで叶えたい夢は何ですか?

実は変わってない夢がずっとあります。その夢は、目の前に畑と田んぼがある自然の中に天然住宅の助産院を建てることです。その気持ちで、全国の色んな所を見て回りました。四国から始めて、八ヶ岳の方も行ったし、三島とか、そして富士山が綺麗に見える御殿場の方も行ったし、本当にいろんな所に行きました。

結局ここに来たのは、消防法が変わったことによって、マンションの一室で入院施設を持つとなると、そのマンション全体に全部消防署に直結する電話システムを設置しないといけないように変わってしまって、それをやるには大家さん負担で700万円以上かかるようになりました。その時はもうめっちゃ腹立って、今まで18年間、こんなにみんなに喜んでもらって幸せなお産をいっぱいして、なんでこんなに追い詰められてやりにくくなるんだ、っていうのをすごく思って。
もうそこで怒りとともに夢を全部手放してしまいました。

夢を全部手放したんですか!夢を手放したあとはどうしたんですか?

遠くとか田舎とかに行くとなると嘱託医が見つからない問題があったり、また田舎は出生率が少ないから産みに来る人がいない問題があったりとかで、なかなか実現できなかったんです。
それで、そもそも土地も見つからないんだけど、近くだったら嘱託医は変わらなくていいし、お客さんもそのままでいいから、ただ近くに場所を借りる方向に転換しました。また、個人のお家みたいな所でやるんだったら、消防法の制限がなかったから、もうとにかく天然住宅とか関係なく、この近くで一戸建てを借りてやるっていうことが一番手っ取り早いと思いました。

それで、その消防署の人と大家さんが帰った後、その日の午後に不動産屋で一戸建てを早速調べて、何軒か見に行きました。あまりピンとくる家がなかったので、また何か良い物件があったら出しますねって言ってくれたその次の日の朝の9時に、流れてきたFAXが今のこの家だった(笑)

そして、実際物件を見てみたら、なんと天然住宅でした。しかも、ここが出来た年が私が開業した年と同じ年で、最初に内見に来た時に、2階でマクロビ教室をやっていました。
それを見て、夢が半分叶ったような、そういう場所が見つかった訳です。自分たちが建てたかったものが既に近くにあって、ここをリフォームすることで新しい助産院として生まれ変わりました。言ってみたら、田んぼも畑も今やってるわけで、夢が叶ったような感じなんです。まだ助産院のすぐ前には田んぼや畑はないんですけど(笑)

一旦夢を手放したけど、結果、半分叶ったんですね(すごい)。残り半分の夢を実現するために、これからはどうしていきたいですか?

今後は第2の私達の人生の夢として、研修施設みたいな場所を田舎に作って、そこで様々なクラスを開いたりして、お産は今のこの場所で若い人たちに引き続きやってもらいながら、私はここと施設を行ったり来たりすることができたらいいなと思います。

そしてその施設の方では、リトリート的にクラスをやったりしてね。そうしたら、遊びがてらに色んなところからでも来られるでしょう?そういう場所を作りたいです。ここに来れば、食事のことも学べて、1週間ぐらい滞在しながら、色んなクラスを受けられて、体も元気になって、皆んなそれぞれ各地に戻ってそこで元気にお産するとかね。

その対象は、バースハーモニーで産む人に限らず、世界中の人が、学びに来れる場所になって欲しいと思います。
本当の自分と向き合ったり、医療に助けてもらうこともすごく必要だけど、本当に自然に生きるために必要なことは何かを学んだりして。人によって、みんなそれぞれ体も心も違うから。

本当に自然というのは何かというと、何かに反発して山の中で1人で暮らすとかそういうことではなくて、田舎にいながらでも、街にいながらでも、自然に暮らすこと。
田舎の人たちって意外と不自然だったりもするんですよね。だって、コンビニで甘いものとかすぐ食べれるし、殺虫剤とか、洗剤とかもテレビで流れる体に悪い有名な洗剤を使ったりとかだったりして。田舎の暮らしでも化学物質だらけの生活だったりすると意味ないですよね。

今の場所だとスペースも限られていて、都心からバスで来てバスで帰るみたいな環境ですから、田舎の施設であれば、別に泊まりたかったら泊まってくれて、ご飯食べたければご飯食べていけば?みたいな。そういった家族みたいなコミュニティが作れたらいいなと思っています。
例えば、シングルマザーの方もそこに1ヶ月ぐらい滞在できるスペースとかがあったり、産みに来て産後1ヶ月ぐらいまで滞在できる。世界中から色んな人々が集まる、そういう場所を作りたいです。

ママたちへ伝えたい3つのメッセージ

これからママになる方々へ伝えたいことはありますか?

まず、1番目は、睡眠不足と疲れについてです。これがあるとですね、気分が滅入ってくるんですよね。もうなんかイライラしてきて子供に当たったり、旦那に当たったりしますよね。そうすると、どんどん自分を責めて落ち込んでしまいます。それらの原因は、睡眠不足と疲れです。

だから、まずは自分がちゃんと寝ないといけないので、一日だけでも子供を預かってもらうとかのSOSを出す必要がありますね。更におっぱいをあげてると、その分赤ちゃんに栄養を与えているので余計に疲れやすい。
一番に考えることは無理をしないことです。だから、やっぱり疲れてるとか、お腹が減ってるとか、眠いとか、そういった基本的な欲求にしっかりと向き合って、充足していくのが一番大事で、頑張りすぎないようにして欲しいと思います。
子供が寝てる間に色んなことをやってしまおうと思わないで、子供が寝てる間に自分も寝ようと思ってほしいです。特に、お産直後に心がけてほしいですね。あとは赤ちゃんの生活リズムができてくれば、ある程度赤ちゃんも寝てくれるように変わっていくので。

2番目としては、自分の時間を持つこと。これがすごく大事だと思いますね。
私も子供が小さい頃には、自分の時間をどこで持てばいいのかをすごく考えていて、もうそればっかり日々日々考えて、朝子供が起きたら子供が夜寝るまで、自分のことなんかはやる時間がなかったです。
でも、寝る時は子供と一緒に寝て、起きる時間を子供より早く起きて、その時間に自分の好きなことをやろうと決めてやってましたね。そういう時間を自分で作るのは大事です。
どこかのタイミングで自分の一番作りやすいタイミングを見て、無理のないやり方で自分の時間を持ったり、自分がすごく好きなものをやるといいですね。
例えば、自分が眺めるだけでも心が落ち着くものを飾ったりとか、お花とかね。
自分の心のよりどころをどこかに作るのがいいのかなと思います。

だけど、今は昔と違いますよね。昔はスマホがなかったわけです。だから休む時は瞑想とかしてたわけですけど、今の時代はスマホでドラマやYouTube見たり、ゲームやったりで時間が過ぎてしまったりしますよね。それで余計に脳が休まらないし、どうしても光の刺激で交感神経が優位になっちゃうから、更にぐっすり寝れないわけです。
それは、命とは裏腹な方向に行っちゃうので、スマホには要注意だと思いますね。
あと、ネットサーフィンとかSNSもそうですね。SNSに子供の可愛い姿をアップしたくなるし、人々からのコメントが気になってしまうから、ずっと携帯を見ないといけない。そこのバランスをとった方がいいかと思います。昔はやっぱり産後の人に携帯やらないでと言ってたけど。もう最近はちょっとそれを言うのもな、ってなってきてるからね。産後に携帯で回復が遅れたりするのは勿体ないなって思いますね。
やっぱり産後に携帯をいっぱい触っている人はね、ちょっと回復にいろいろトラブルが起こるのをみてきましたので。体の自然な回復のためには、スマホの光も部屋の電気も、夕方になったら暗くして、自律神経を整えるのがいいです。スマホって便利であるほど使い方にメリハリが要りますね。
夜にやっぱり見てるのは自然な流れと逆行してるから、昼間は太陽も出てるから交感神経を使わないといけないけど、夕方からはやっぱりそれを遮断していって、自然のサイクルの中でうまくデジタルを活用できるように「デジタルデトックス」も大事にして、子育てしてほしいと思います。

最後に、赤ちゃんの発達についてです。赤ちゃんにとって本当に必要な刺激が必要な時に与えられることがその子の人生にとって一番大事だからこそ、赤ちゃんケアや発達クラブに是非来てほしいと思います。
英才教育はしないでほしいですね。幼稚園の受験とかで、小さい頃から知識を詰め込もうとすることは本当に逆効果です。どんなに英才教育をやっても、積み上がらないです。
何故ならば、脳幹をちゃんと発達させるのが1番大切だからです。体を動かすことで大脳皮質に詰め込む知識が活きてくるわけで、一番大事なところが抜けてると全部バケツの穴が開いてるみたいで、いくら小さい頃から知識を入れても、後で抜けてしまうのです。

脳の発達のためには、必要な動きや運動をさせる必要があるので、それを赤ちゃんケアや発達クラブでお伝えします。
そういった順序は、リアルタイムで1歳までにやれるのが一番ベストですが、いつでも来てください。例えその順序をちゃんと守れていなかったとしても、小学生でも中学生でも来てくれたら改善できます。
皆さんにとってお役に立てると嬉しいです。